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東京高等裁判所 昭和36年(う)615号 判決

被告人 磯部英一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

論旨第二点(事実誤認の主張)について。

原判決が証拠によつて認定した本件業務上過失致死の事実によれば、自動車運転の業務に従事する被告人が、自動車運転者としての業務上の注意義務を怠つた結果、原判示の日時、場所において、道路を横断しようとして道路の略中央部まで進出していた吉川虔六(死亡当時二十四年)の腰部に被告人が運転していた自家用小型四輪貨物自動車(新四そ九七九七号)の前部左側を衝突させて、同人をその場に転倒させ、失神状態に陥つた同人をその侭放置して逃走したところ、その直後、同所を通りかかつた阿部翰靖の運転する自家用放送宣伝車(八す八四四五号)が、右吉川を轢過し、次いで、伊藤政雄の運転する事業用小型四輪乗用車(新五、あ二四四二号)が、同人に衝突して同人を引摺つたことにより、吉川をして判示日時場所において骨磐骨折等の傷害により死亡するに至らしめた、というのであつて、畢竟、本件被害者の死亡は、被告人の運転する貨物自動車による衝突事故のほかに、前記阿部翰靖の運転する放送宣伝車による轢過と、伊藤政雄の運転する事業用乗用車による衝突等が競合した結果発生したこととなるが、右事実に徴すれば、被告人が運転していた前記貨物自動車を吉川虔六に衝突せしめて同人を路上に転倒せしめその場から逃走した当時には、同人は未だ死亡せず、なお生命を保つていたことを窺うことができる。所論は、かかる場合には右被害者の死亡につき被告人に刑事責任はない旨主張するので、この点を審究するに、本件交通事故が発生した現場は、原判示の新潟市東仲通一番町新潟日報社前附近の道路上であるところ、原判決が証拠の一つとして挙げた司法警察員田辺博作成の昭和三十四年十二月二十四日付実況見分調書(記録三十一丁に綴られたもの)によれば、右道路は通常東仲通りと称せられている国道八号線に当り、前記新潟日報社前道路の幅員は一四・六米で、路面はコンクリートで舖装されて平坦であり、道路の両側に幅員各三・六米の歩道が設けられているが、新潟市内の主要幹線道路である関係上、日中であると夜間であるとを問わず、常に自動車等の交通が頻繁であり、ただ深夜の交通量は比較的閑散であるとはいえ、各社のタクシー等がその交通量の主たるものとなつていることが認められる。しかも、前記事故発生の現場附近には、夜間の街燈設備がない上、道路の両側には、新潟日報社の他に新潟県信用組合連合会、住友生命、大和生命の各保険会社等の建物が竝列しているため、夜間の照明は殆んどなく、深夜は附近一帯に薄暗く、見透しは極めて困難な状態にあることが認められ、それに加えて、本件事故発生当時は、降雨中で、風も相当吹いていたことが、前記実況見分調書及び佐々木貫五の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書によつて明らかであるから、現場附近の見透しが一層困難であつたことは、十分想像し得るところである。果してしからば、かような状況の下に、右道路の略中央部に、転倒によつて失神状態にある前記吉川虔六をその侭放置し、何らの処置を講ずることなく逃走すれば、やがては、自動車に後続する自動車等がこれに気付かず、更に右被害者を轢過する等の事故が発生するおそれのあることは、まことに見易い道理であつて、なに人も十分予測し得るところといわなければならない。はたせるかな、被告人が右現場から逃走した直後、被告人の運転する貨物自動車に後続する、阿部翰靖の運転する放送宣伝車、更にこれに後続する伊藤政雄の運転する事業用乗用車が、いずれもその進路前方に吉川虔六が転倒していることに気付かず、同人を轢過する等の事故が発生し、その結果、同人に骨磐骨折等の傷害を負わしめ、遂に同人をして死亡するに至らしめたのである。さすれば、右吉川虔六を死亡するに至らしめた刑事上の責任が、所論のように全く被告人にない訳のものではなく、寧ろ被告人の本件業務上の過失に基く行為が原因となり、被害者が死亡する結果を招来したものと見るのがもつとも妥当であつて、たとえ、所論のように、被告人の右過失に基く行為が、被害者をして死亡するに至らしめた唯一の、又は直接の原因ではなく、前記各後続車による轢過等による他の原因と相まつて、死亡の結果を招来した場合でも、被告人は右死亡の結果につき、これが刑事責任を免れ得ないものと解するのが相当である。これを要するに、被告人の本件過失に基く行為と被害者の死亡との間に、法律上相当因果関係がないとはいえないし、また、前記各後続車による轢過等がその間に介在して、結果の発生を助長したとしても、これによつて右因果関係が中断されるものと解することはできないのであつて、論旨に引用した医師長谷川健次郎作成の死体検案書及び同人の検察官に対する供述調書によつても、未だ右の判断に消長を来すことはない。

よつて論旨は理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 下村三郎 高野重秋 松本勝夫)

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